2021.5.2-3 鹿児島混成②
七種競技2日目。
ぐっすり寝ることが出来て、
筋肉痛はあるけれど身体は軽くてスッキリ!
ただ枕が高くて首が痛い。
首は時間が経つと治ったので安心しました。
幅 5m27 +2.0 634
今年1番力を入れて練習している種目です。
これまで助走が安定せず踏み切り板に乗らない事が多かったです。
まずは助走を安定させることを意識して練習してきました。
私はクラブチームの一員であり、
他の選手のように試合にコーチが帯同する事は無いので
足合わせも自分の感覚でやります。
幅は3本ファールしてしまうと0点です。
3本で決め切らないといけません。
特に1本目が重要だと思います。
ある程度の記録を残しておいて、
2.3本目勝負する。
1、2本目でファールしてしまうと、
3本目は記録を残すために慎重な跳躍になりがちです。
今回私は、
①5m13 +0.9
最初の跳躍者ということもあり、緊張MAX。
1本目は記録を残す。丁寧に助走を走る。冷静に走り出しました。
無事白旗。
1本目で4765点を出した時の5m11を越えたので、
2、3本目は思い切って記録を狙いにいけました。
②5m27 +2.0
自己ベストまであと2cm。
踏み切り板ぴったし!
浮いた感覚がありました。
3本目に自己ベストを狙えると思いました。
③5m20
記録を狙う意識が強いと
スピードを出そうとします。
そうすると、
走り出しからスピードを上げてしまいます。
私は最初の4歩はゆったり押して走り出すので、最初からスピードを出すと助走が合わないです。
3本目は冷静さが欠けていました😨
3本目から風向きが変わり、向風になっていました。
風の判断も出来ていなかった。
自己ベストを出せなかった悔しさは次回晴らす!
槍 41m58 698
得意種目です!
アップの3クロスで38mくらい飛んでいたので今日はいける!と思いました。
①39m01
投げ出しの角度が高くて
槍先が上に向いていました。
高く上がって失速して落ちる感じです。
2投目は1投目と角度を変えて、
低く真っ直ぐ飛ばすイメージにすれば記録は伸びると思いました。
②39m03
投げた瞬間の手応えは1投目よりありました。槍の角度もイメージ通り、
低くスピードのある投てきでした。
しかし記録はあまり伸びず😨
何か足りないって直感で思いました。
試技の待機中、
ふと思い出したのが
投げ切る時に最後の押しが足りない事です。
指を引っかける、
私は人差し指でグイッと槍を押せたときが飛びます。
ラスト投てき、
最後の人差し指をイメージして投げました。
③41m58
指が引っかかりました!
投げ切った瞬間、いった!と思いました!
人生2度目の40m越え。
高校2年以来なので11年ぶり。
ガッツポーズでちゃいました😆
800m 2’19″15 835
槍が終わると得点を計算します。
「何秒で走れば目標の得点に届くか」
「何秒差で順位を上げられるか」
「1周目のタイムは何秒で走るか」
私の場合、
2’24″50以内で走れば4900点
2’17″50以内で走れば5000点。
目標であった日本選手権申込資格記録は4900点だったので、
2’24″50以内で走れば大丈夫!練習通りに走れば大丈夫!と思いました。
しかしレースでは何が起こるかわかりません。
急激に失速するかもしれないし、
私の場合、
ふくらはぎが攣りやすいのでその怖さもありました。
レースは66″で通過したかったのが、
69″。手元のラップでは68″51。
400-600はモニターが見えて、
後ろから追われているのは分かってました。
ラスト200mで切り替えれば逃げ切れると思ってました。
600-700で1度目のスパート。
ここは余力を残しつつペースアップします。
700-800で2度目のスパート。
力を出し切るために全力ダッシュです。
後ろから追われているけど、
絶対1着は守り抜く。
自分で引っ張って
ゴールまで先頭を守り切る。
消極的な自分の殻を破りたかった。
レースで自信をつけたかった。
この2つを達成出来た嬉しさと、
あと1秒自己ベストに届かなかった悔しさが入り混じったゴールでした。
総合得点 4977点 9位
日本選手権申込資格記録突破
2021年3月に出した4765点を大幅に更新出来ました。
怪我も貧血も経験して
一度競技から離れた事もあったけれど、
たくさんの人の支えでココまで強くなることが出来ました。
応援に来てくれた両親が
私の七種競技を見たのは高校3年生以来、10年ぶりです。
高校時代は怪我だらけでした。
高校3年間で七種競技をやり切れたのは、
高校1年生 3回 3857点
高校2年生 0回
高校3年生 1回 3780点
計4回です。
常にテーピングぐるぐるな姿しか見せる事が出来ませんでした。
高校2年生に至っては
試合中にシンスプリントが悪化してしまい、
100Hのゴール後そのまま病院に連れて行ってもらいました。
右足首内果の疲労骨折で松葉杖になりました。
10年経って
成長した姿を見せる事ができ、
喜んでもらえてとても嬉しかったです😊

七種競技でインターハイもインカレも経験していません。
希望を捨てなければいくつになっても成長できる証を残していきたいなと思います。
勇気を与えられる選手に。
たくさんの応援ありがとうございました。